巨大な人造湖、レイク・パウエルの美と課題(2)

アリゾナは、人造湖が多いが、その規模から最大級の湖がレイク・パウエルだ。ここの魅力は、大きさだけでなく、その自然美である。湖の両岸に連なる岩には、鮮やかな色でさまざまな地層が重なりあい、地球の歴史を語っている。今月は、この巨大人造湖を訪ねてみよう。

   
アンテロープ・キャニオン

ペイジに行ったら、湖だけでなく、必見の場所がある。それが、アンテロープ・キャニオンだ。まさに、世界中の写真家が押し寄せて、カメラを抱えてやって来る。これまでも多くの雑誌で、ここの写真が紹介され、その美は世界を魅了してきた。
アンテロープ・キャニオンは、実際には二つの別々のキャニオンだ。ハイウェイ98号線の北にあるのが、ローワー・アンテロープ・キャニオンと呼ばれ、南側にあるのが、アッパー・アンテロープ・キャニオンと呼ばれている。ローワーとは、より低いという意味で、文字道理、地面の下にある。そして、アッパーとは、より上という意味で、地上にある。両方ともスロット・キャニオンという定義が付けられている。スロット、つまり細長い溝のこと。もともと一つの岩山だったの二つに割れて、その割れ目が細長い溝になっているからだ。
ここはナバホ・インディアンの居留区にあるため、彼らが一切の管理運営をしている。ナバホ族の言葉で、彼らは、アッパー・アンテロープ・キャニオンを、「ツェビガニリニ」と呼ぶ。「岩の間を水が流れる場所」という意味だ。また、ローワーの方は、「ハスデトワジ」と呼ぶが、それは「らせん状の岩のアーチ」という意味だ。
この一帯は、その昔、多くのアンテロープが彷徨していた。そのため、アンテロープ・キャニオンという名が付けられたようだ。アンテロープは羚羊のことで、ウシ科の一種。

   
キャニオンの形成

巨大な岩に水が浸食し、割れ目でできる。これが、溝ができる最初の段階だ。アリゾナはモンスーンの時期になると、激しい雨が集中して降ることが多く、降った雨水は鉄砲水となって岩肌を削る。こうして溝が大きくなると、削られた表面にひっきりなしに風が吹き込み、風による浸食が始まる。風の浸食は壁の表面をなめらかに少しずつ削っていく。はるかな長時間で浸食された壁の表面は、波のような形状を作り上げ、ナバホ砂岩独特の色鮮やかな溝となっていく。

   
アッパー・アンテロープ・キャニオン

ナバホのガイドが一グループを担当し、キャニオンの入り口までジープを運転して、ガタガタの地面を走る。入り口に着くと、そこからは徒歩でキャニオンに入る。岩の出口を出ると、また引き返して入り口まで戻るので、一往復することになる。

   
ローワー・アンテロープ・キャニオン

地下に下がっていくので、鉄製の階段が設けられている。足場はアッパーに比べて遥かに悪いので、観光客は少ないが、写真家を魅了して止まない。1997年8月にいきなり鉄砲水が入り込み、観光客11人が被害にあって死亡するという事故が起きたことがある。それ以来天候が悪いときは、観光なしということになっている。

   
レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)

レイク・パウエルに関連して興味深い自然美がもうひとつある。それは自然が作った巨大な橋のような形をした岩石だ。橋の形が虹のようなので、レインボー・ブリッジと呼ばれる。この橋は、アリゾナ州ではなく、その北のユタ州に位置している。
ここを訪れる唯一の方法は、遊覧船に乗っていくことだ。ペイジのグレン・キャニオン国立保護区にあるワーウィーブ・マリーナ(Wahweap Marina)からツアーが出ている。往復7時間以上の旅となる。
このような自然に出来た橋は、世界に多いが、レインボー・ブリッジはその中でも最大級の規模を誇る。橋の高さが290フィート.橋の両横端の幅は、275フィート。この岩そのものの誕生は、何億年も前にさかのぼる。この一帯はケヤンタ砂岩と呼ばれる赤茶色の砂が堆積してできあがった。この砂は海辺から風に押されて運ばれてきて、それが、極端に乾燥した空気に長時間さらされてきた。この砂浜が1億年もの間に積み重なり、その重圧で岩となった。
現在フォーコーナーと呼ばれる高地がある。これは、コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコの4州の州境が交差する場所だが、この一帯はコロラド・プラトーと呼ばれる高地で、地殻変動によるものすごい力で上に伸びた。約550万年前に急激な変動によって、標高が上がると、そこから流れる川の水に速度が加わる。こうして、コロラド川の水は、土地をどんどん削り始め、深い峡谷が形成される。また、この時期に大量の雨が降り、川の水かさが増す。こうして、峡谷の形成だけでなく、巨大な岩石を押しつぶして、中に大きな穴を開けるようなことまで成し遂げる。これがレインボー・ブリッジで見られる穴だ。
この一帯は、古代先住民が生活をしていた跡が多く発見されている。はたして、彼らは、この自然の橋を見ながら、何を思っていたのだろうか。たぶん、聖なる地として、畏敬の念をいだいていたに違いない。
白人がこの地を見つけたのは、20世紀に入ってからだ。考古学者のバイロン・カミングスと連邦調査員のジョン・ウェザリルが協力してこの地に入り、このブリッジを発見した。1909年のこと。彼らは、レインボー・ブリッジのうわさをよく耳にし、その確認をしようと調査団を結成した。この見上げる様な巨大な自然橋を初めて見た彼らの感慨はどれほどのものだったろうか。彼らの発見後1年して、当時のタフト大統領は、この地を保護すべく、レインボー・ブリッジ・ナショナル・モニュメントと指定。そして、1913年には、セオドア・ルーズベルト大統領がこの地を訪問している。

   
レインボー・ブリッジとネイティブ・アメリカン

さて、発見されたレインボー・ブリッジだが、それは、白人達にとっての発見であって、この周辺に長く住んでいたネイティブ・アメリカンの先住民にとっては、発見でも何でもないのは当然だ。彼らにとって、とりわけナバホの人たちにとって、それは聖なる地であり、宗教行事の場であった。連邦政府が保護を目的にナショナル・モニュメントと指定したが、「保護」の意味は、白人と先住民とは全く異なっていることが、後に明からになってくる。
レインボー・ブリッジは、周囲に道路が完備されている訳でもなく、かつては馬と徒歩で行くしかなかった。ところが、1966年にグレン・キャニオン・ダムが完成すると、当然、川の水位が上がり、レインボー・ブリッジは直ちに観光名所となって、遊覧船で多くの人々が立ち寄るようになった。それに対し、ナバホ族は非常に不満足の意を表していた。1974年、ナバホは米国内務長官、開墾局長官、国立公園局長を相手取って、米国地方裁判所に訴訟を起こした。ナバホは、彼らにとって大変重要な宗教行事の行われる地であったのに、川の水位の上昇によって聖地が破壊されていると主張。しかし、裁判所は、貯水の必要性の方が重要と、ナバホの訴訟を却下した。そして、1980年、最高裁判所は、レインボー・ブリッジ・ナショナル・モニュメントを閉鎖し、一般人の立ち入りを禁止せよというナバホの主張は、ナバホの宗教行事を目的としているだけで、ここは公的地域であるので、ナバホの主張は、全ての市民の宗教の自由を守る米国憲法に違反するものである、という判決を下している。
その後、連邦政府とアメリカ・インディアン、自然保護団体などの交渉、調停が行われきた。そして、1993年、国立公園局一般管理案というものが採択された。これは、長期的展望に立って、レインボー・ブリッジの観光化による悪影響を和らげ、レインボー・ブリッジを保護することを目的としている。この計画の一部として、国立公園局は、レインボー・ブリッジ周辺に居住し、何らかの関係を持って来たアメリカ・インディアンの10の部族との話し合いを提案する。ナバホを始めとする先住民の部族長達はこぞって、レイボー・ブリッジは聖なる地なので、訪問客は十分に畏敬の意を持ってもらいたいと主張。また、レインボー・ブリッジに近寄ったり、その下を歩いたりすることがどれほど聖地を汚しているか理解すべきだと訴える。そして、公園局が明確な標識をレインボー・ブリッジに設けて、観光客に理解と協力を求める必要があると結論した。標識の内容決定に紆余曲折があったが、1997年公園局は、次のような標識をレインボー・ブリッジに設置することに合意する。
「アメリカ先住民の部族/国家にとって、レインボー・ブリッジは、聖なる宗教の地であります。長期にわたるこの信仰に尊敬の意を持ち、私達は、皆様が自発的に合意され、レインボー・ブリッジに近づいたり、その下を歩くことがないようお願い申し上げます。」
この標識にある「近づいたり」や「その下を歩くことがないよう」という表現は、他のグループの人々から攻撃の的ともなってきた。ハイカーは近くの岩を登ろうとして、公園局員から強制的にハイキングを断念させられたなどの苦情が出て、訴訟問題に発展する。

 

関連記事

巨大な人造湖、レイク・パウエルの美と課題(2008年9月号)