巨大な人造湖レイク・パウエルの美と課題

レイク・パウエルとペイジ。観光と自然保護の間にはさまりながらも、已然として世界の人気を引き寄せるこの地。そこには、人間を遥かに越えた大自然が想像もつかない時間で作り上げた芸術がある。今月は、先月に続いて、この地をゆっくりと見て歩こう。

   
行き方(フェニックスから)

 

 高速道路I-17をフラッグスタッフまで北上。フラッグスタッフに着くと、340Aを出て高速道路I-40に合流するので、アルバカーキの方向へ走る。出口201で89号のハイウェイに入り、それを北上。ペイジまで来れば、その先がレイク・パウエルだ。車で約4時間半のドライブ。 レイク・パウエルは、同じくアリゾナ州境にあるレイク・ミードに続いて、全米第二位の大規模な人造湖である。コロラド川の流れをグレン・キャニオン・ダムがせき止めて出来上がった。
この湖の周辺一帯は、グレン・キャニオン国立保養区に指定されており、とりわけ夏は観光客でにぎわう。ヨーロッパやアジアからの旅行者が多く、この一帯は、フランス語、ドイツ語、中国語、日本語などが至る所で聞こえる。

   
ペイジの町
 アリゾナの多くの町が鉱山やら、牧畜を目指してきた入植者達から出発している。しかし、ペイジは、大変ユニークなスタートを切った。1957年に誕生。
 町を作る目的は、グレン・キャニオン・ダムの工事のためにこの地に来ていた労働者とその家族が生活をできる場を提供するためだった。44平方キロメートル(17平方マイル)のナバホ・インディアンの土地を、土地と土地を交換することで、ナバホ族から獲得した。
その後、1966年にダムが完成すると、人口は確実に増加し始めた。現在、6,800人が住んでいる。市の収入は、観光に頼り、毎年300万人の観光客を迎えている。
   
湖の形成に至るまで
遅過ぎたシエラ・クラブ
アメリカ開墾局は、1940年代から1950年代にかけて、コロラド川の各所にダムを建設して、川の水をコロラド、ユタ、そしてアリゾナの3州にうまく分配しようとしていた。そして、当局はコロラド州のエコー・パークをダム建設地として選択した。ところが、自然保護団体であるシエラ・クラブの猛反対に出くわした。エコー・パークの自然美を破壊するダム建設に強く反対したシエラ・クラブは、連邦政府や政治家とのやりとりの中で、その代替案として出て来た、アリゾナのグランド・キャニオンとグレン・キャニオンの中間地にダムを建設することに賛成し、妥協し
た。
さて、シエラ・クラブの初代最高執行役員であったデビッド・ブラウアーは、その代替案として選択されたダム予定地をまだ見たことがなかった。その彼が、実際にその地を訪れて、驚愕したのだ。そのカラフルな砂岩、清らかな水の流れ、そこに生息する鳥や動物の数々、アーチ型の岩山、考古学的にも貴重な古代インディアンの遺跡の
数々など。
   
シエラ・クラブ(Sierra Club)と
デビッド・ブラウアー(David Brower)

ブラウアーは、1912年、カリフォルニア州のバークリーで生まれた。カリフォルニア大学バークリー校で大学新聞の編集をしていた時に知り合ったアン・ハスと結婚。
彼は自然が好きで、とりわけ山登りに情熱を傾けた。第二次世界大戦で従軍し戦地へ。戦争が終わると、再び大学新聞の編集の仕事に戻る。そして、1946年にシエラ・クラブ・ブルティンを編集し始めた。シエラ・クラブは、1892年にカリフォルニア州のサンフランシスコで創設され、自然保護の活動を展開してきた。ブラウアーは、1952年にシエラ・クラブの最高執行役員となった。その役員として初の仕事が、前述のエコー・パークのダム建設反対運動だった。
アメリカ議会に積極的なロビー活動を行った結果、シエラ・クラブは、エコー・パークのダム建設案の撤回に成功したのだ。この事実は、シエラ・クラブの存在価値を世
間に示すのに十分だった。さらにブラウアーは、1964年の野生保護法の可決に一役買い、また、開墾局が企画していたグランド・キャニオンのダム建設に対して強い反対運動を起こした。

 
グレン・キャニオン・ダムの建設

シエラ・クラブの攻撃を逃れて完成したグレン・キャニオン・ダム。いよいよ工事が始まる。1956年10月1日、アイゼンハウワー大統領はダイナマイトの発火ボタンを押し、キャニオンの岩山が崩れ始めた。まず、コロラド川の流れを変え、人工のトンネルの中を水が流れるようにした。川の流れが変わると、いよいよダムの建設である。まず、輸送用の橋が出来上がる。この橋を使って工事用の機材や資材が運ばれて来た。
4000万立方メートルものコンクリートが費やされた。先々月オアシスで扱ったクラークデールにできたコンクリート工場から、コンクリートが輸送されてきた。ダムの高さは216メートル、総工費1億5500万ドル。そして、ついに、1966年9月22日にグレン・キャニオン・ダムが完成し、ダムは、レディー・バード・ジョンソンに献納された。彼女は、リンドン・ジョンソン大統領の妻で、その時のファースト・レディーだった。
ダムが完成すると、今までトンネルを使って迂回していたコロラド川の水が、直接ダムに流れ込んできた。ところが、ダムの水量が最大許容量に至るまで、何と17年もかかっている。全ては、ロッキー山脈に降る雪の量に頼る以外ないのが、コロラド川の実情だ。

   
レイク・パウエルの誕生

このダムによって出来た湖は、レイク・パウエルと命名された。パウエルは、ジョン・ウェズリー・パウエルのこと。彼は、南北戦争後退役した後、コロラド川をボートで下り、それまで余り知られていなかったグレン・キャニオンやグランド・キャニオンの実像を世に伝えた。
湖は、グレン・キャニオンの自然美と相まって、絶好の観光地となった。連邦政府の公園局は、この一帯をグレン・キャニオン国立保養区に指定した。

   
ダムが抱える大きな課題

 

全てがバラ色のように見えた。ボート、ホテル、ゴルフ場等々が登場した。当然、観光産業は、最大の収入源となった。
一方、ダム完成後も、多くの自然保護団体や個人から、ダムによって生態系に大きな破滅の危機が迫っているとの見解が発表されてきた。1996年、シエラ・クラブは、グレン・キャニオン・ダムの水を放出させて、いずれはコロラド川に自然の流れが戻るようにしなければならないと主張。アリゾナ選出の上院議員、ベリー・ゴールウォーターも、ダム建設31年後にして、当初ダム建設に賛成したことに反省の意を表し、湖が無くなることを望む見解を表明している。このように多くの反対意見が続く中も、レイク・パウエルの人気は、上昇の一途をたどり、アメリカの最大観光名所のひ
とつとなってきた。
さて、そんなレイク・パウエルにも陰が忍び寄って来ている。というのは、今世紀に入り、ダムの水量がどんどんと減り始めたからだ。これは、ロッキー山脈から流れるコロラド川の水量が十分でない状況が続いたためだ。2005年の冬は、ダム完成以来初の最低水量を記録し、最大許容水量の3分の1のレベルにまで下がってしまった。近年、アメリカ南西部が抱える慢性的な干ばつは、深刻の度を増してきている。乾燥した山々に起こる山火事は、毎年夏になると新聞の一面で大きく扱われて来ている。コロラド川も例外ではなく、ダムの水位が、極めて低い状況が続く。今まで水中に隠れていた岩山が茶褐色の岩肌を見せ始めた。川の水量だけでなく、太陽熱による湖水の蒸発も大きな要因となっていることがわかっている。
ところが、水の供給が下がる反面、人口増加と経済成長により、水の消費量は、たゆみ無く増加し続けている。はたしてこのまま制限なく水を確保できるのだろうか。これが、自然保護団体などの大きな懸念と主張だ。
本年は、昨年末からの雨量が比較的多かったため、レイク・パウエルの水位は62%のまで増えたというニュースが伝わった。しかし、隣のレイク・ミードは、相変わらず水不足が続き、今も43%の水位だ。
一方、ダム撤回の主張に対する反対意見も強く出て来た。干ばつは、今に始まったことではない、過去にも何回も起こった、これは単なる自然のサイクルで、水量はまた増える、という。また、ダムの水を排出させて、湖をなくせば、経済的なダメージは甚大となる。
2006年、米開墾局は、グレン・キャニオン・ダムの稼働とコロラド川沿いの各設備運営に関して長期的な展望を打ち立てる計画を発表している。来年生まれる新政権の環境政策にも注目する必要がある。

 
ナバホ火力発電所

ペイジに来て、決して見落とすことがないものが、3本の大きな煙突とその煙突から吐き出される煙だ。かなり遠くからでもよく見ることができる。アリゾナのソルト・リバー・プロジェクト社が発電所の稼働を管理している。所有権は、アメリカ開墾局が24.3%、ソルト・リバー・プロジェクト社が21.7%、ロサンゼルス市水・電力部が21.2%、アリゾナ・パブリック・サービス社が14.0%、ネバダ電力が11.3%、ツーソン電力が7.5%だ。石炭を使う火力発電所としては、その規模は、全米8番目。総工費6億5000万ドルで1976年に完成した。
この発電所は、これまで、何回も訴訟対象となってきた。攻撃の的は、大気汚染とコロラド川の水使用だ。ナバホ族のインディアン居留区の中に堂々と立つこの発電所は、まさにアメリカの近代史の皮肉を表現している。とりわけ地球温暖化の危機が叫ばれ始め、「開発」か「自然保護」かという二者択一の論争が盛んになりつつある昨今だ。グランド・キャニオンの大気汚染を削減するためにも、この火力発電所をなくせ、という論調も聞かれるが、そこに働く300人以上のナバホの人たちと、ナバホ族に入る収入をいきなり切ることができない現実もある。また、この発電所で使われる石炭は、ナバホ・ネーションの中のケヤンタにある鉱山から運ばれて来る。ここにも多くのナバホの人たちが働き、その3分の1の収入が居留区に落とされている。従って、現実は誠に複雑である。
ちなみにネバダ州にあったモハビ火力発電所は、2005年の12月に閉鎖された。これは、グランド・キャニオン一帯の大気汚染を裁判所が認定したことからの結果だ。ナバホ火力発電所側は、これまでの批判と訴訟に対応し、膨大な金額の設
備投資をして、煤煙処理に「著しい向上」が見られたと発表している。
もう一つの課題は、水だ。火力発電は、もちろん熱が伴う。この熱を水で冷却化する必要がある。ナバホ火力発電所がこの地にできたのは、コロラド川という水が近くにあるからだ。ところが、この水の確保に疑問が生じて来た。それが、近年の水位の低下だ。このまま水が減り続ければ、発電所は閉鎖せざるを得なくなってしまう。
ともあれ、白人社会を支えるためにインディアン居留区にできた発電所は、そんな論争を見下ろしながら、今日も稼働を続ける。

   
 

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