「西部で最も西部的な町」スコッツデール(1)

1947年にスコッツデール商工会議所が設立され、スコッツデールを宣伝するキャッチフレーズが誕生した。それが、「西部で最も西部的の町」(The West's Most Western Town)だった。最も西部っぽい町を売り物に、最大の収入源となる観光推進を狙ったのだ。そして、それはそのまま今日のスコッツデールの町づくりに反映している。
今月は、このウェスタンの町、スコッツデールを歩いてみよう。

スコッツデールの始まり
 
ウィンフィールド・スコット(Wilfield Scott)
写真提供:Scottsdale Historical Museum

 今から120年以上さかのぼり、1888年にウィンフィールド・スコット(Wilfield Scott)という名の男がフェニックスの周辺を訪れていた。当時従軍牧師であった彼は、眼前に初めて見るアリゾナ砂漠の地に将来の可能性を見た。彼は早速640エーカーもの地を購入すべく、頭金を支払った。値段は、1エーカーにつき3ドル50セントだった。彼が買い取ったこの地が、現在のスコッツデールのダウンタウンとなるのだ。
 従って、スコットが始めた町なので、彼の名に因んでスコッツデールと呼ぶようになる。デール(Dale)とは、古期英語で「谷」という意味だ。ちなみに古期英語は、5世紀から12世紀あたりにイングランドで使われた、現代の英語の祖先にあたる言葉だ。
 ともあれ、スコットが始めた谷、スコッツデールは、こうして始まった。彼は、1893年に退職し、農業に専念する。彼が植えたオリーブの木が今でも残っている。


 人口が増え始めると学校の創立が必要になる。そこで1896年には、たった一つの教室の学校が作られた。この学校もスコットが積極的に運動を起こして創立への運びとなった。
 彼は、1898年にアリゾナ準州の下院議員に選出される。1903年には、生徒の増加にともない、これまでの小さな学校からレンガ作りの学校に新築されることになった。このレンガの建物が現在のスコッツデール歴史博物館となっている。
 スコッツデールの産みの親、スコットは、1910年にこの世を去る。

写真提供:Scottsdale Historical Museum

 

上の写真は、1900年に撮られたものだ。今から110年前のスコッツデールである。左端から右端にやや上向きに見える直線が、現在のスコッツデール・ロードだ。そして、左下に見える空き地のような場所が、現在のインディアン・スクール・ロードである。見えにくいが、一番左端の中央にあるのが、木造の学校。写真の真ん中より少々上に見える横に並んでいるのが、オリーブの木で、これは、スコットが植えたものだ。


110年前では今の姿が想像できなかったであろうが、これから110年後にスコッツデールはどのような姿になるか。これも想像することができない。

   
西暦1900年のスコッツデール
   
市長紹介

ジム・レイン(W.J. "Jim" Lane)

ニュージャージー州からアリゾナのスコッツデールに引っ越して来たのは、37年前。フィラデルフィアの大学を卒業して会計士となった。そして、国際会計事務所であるKPMGで採用され、この地にやってきた。KPMGで20年勤務し、その後様々な企業をオーナーとして営業し、2004年にスコッツデール市の市会議員として政界に出た。
2008年暮に行われた市長選挙で85%の投票を獲得して、市長に選出された。
もともとビジネス界の出身。その経験を生かして現在の厳しい経済不況を乗り越えるスコッツデールの舵をとる。ダウンタウンの現存ビジネスの保護、観光事業の促進、効率的な企業誘致などに取り組んでいる。
市長になって1年余。2009年の目標はほぼ達成したという。

   
パラダ・デル・ソル(Parada Del Sol)

もともとサンシャイン・フェスティバルと呼ばれたイベントで、スコッツデール商工会議所がスコッツデールの観光促進を目的に始めたものだ。1954年に市の開発を進める非営利団体であるスコッツデール・ジェイシーズがこのイベント運営を引き継いだ。それ以来、毎年2月に行われて来たカウボーイとカウガールのパレードだ。1956年にはロデオも追加されて、今年は57周年目の行事となった。

 

 

アラビアン・ホース・ショー

1955年以来の歴史がある世界的に有名なアラブ馬のショー。50頭の馬で始まったショーも、現在では2000頭が登場し、世界中の一流オーナー、ブリーダー、トレイナー達が自慢のアラブ馬を参加させてその質を競う。勝利者には、もちろん高額の賞金が払われる。
   
 

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