グランド・キャニオンの入り口、ウィリアムス

ウィリアムスは、地理的にグランド・キャニオンのサウス・リムに近い町であることから、グランド・キャニオンへの中継地として、年間をとおして観光客でにぎわってきた。今月はこのウィリアムスを歩いてみよう。

 
マウンテンマン
ビル・ウィリアムス

この町、ウィリアムスは、ビル・ウィリアムスという男の名から由来している。ビル・ウィリアムスは、1820年ころから1840年代の間にこの地で生活をしていた。当時、ロッキー山脈を徘徊していた罠猟師、探検家の男達はマウンテンマンと呼ばれていた。頬髭を長く伸ばし山に入ってビーバーなどの動物を狩猟して毛皮を売ったり、物々交換したりしていた。彼らの多くは、毛皮会社に雇われ、西部の山々を遠征して、毛皮を持ち帰ってきた。
ビーバーの生皮は、当時イギリスで流行していたビーバー・ハットに使われていたため、良い収入源となったが、1840年代にイギリスのファッションが変わり、需要が少なくなった。その上、過剰な狩猟のため、ビーバーの数が激減し、捕獲が難しくなった。こうして、マウンテンマンは仕事をガイドやハンターに変えていくようになる。ビル・ウィリアムスも同じく、この一帯で縄猟から探検、ガイドの仕事をした。かくして、彼が徘徊した山を、ビル・ウィリアムス・マウンテンと呼ぶ。

 
グランド・キャニオン鉄道

ウィリアムスからグランド・キャニオンのサウス・リムまでの鉄道が開通したのは、1901年のことだ。サンタフェ鉄道会社が建設し運営していた。もちろん、あの激しい煙を出して走る蒸気機関車であった。しかし、1950年から60年代には、車の普及で鉄道の利用客が著しく減少をしていた。そして、ついに1968年、鉄道が閉鎖となった。
ところが、マックス・ビーガートという実業家がこの鉄道に興味をいだき、買収した。それは、閉鎖から30年も経った後だった。そして、彼は、観光業の一環として、1989年に「グランド・キャニオン鉄道」を再稼働したのだ。毎朝9:30にウィリアムスの駅を出発し、グランド・キャニオンに午前11:45に到着。そして、グランド・キャニオンの駅を午後3:30に出発し、ウィリアムスに夕方5:45に戻るというスケジュールだ。

 
ルート66

皆が西を目指していた。カリフォルニアは夢の天地だった。人々はシカゴからロサンゼルスまで延々とドライブした。1926年にできた「ルート66」は、イリノイ州のシカゴから出発し、ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、そしてアリゾナを通って、カリフォルニア州に入った。アリゾナのウィリアムスには今でも昔ながらの「ルート66」が残っている。そこが、この町のダウンタウンだ。そのルート66も、高速道路の時代の到来で、姿を消すことになる。ウィリアムスのルート66も、数多くの思い出と歴史を残して、1984年のインターステート40号の完成とともに、終止符を打った。しかし、ウィリアムスの町には、相変わらず、当時の喧噪が聞こえて来る。