砂漠の砂丘、インペリアル・サンド・ドューン(1)

ここにラクダと隊商が現れれば、まさにサハラ砂漠を思わせるような砂丘が広がる。風に押されて、砂はまるで大海の波のような滑らかな曲線を描いていく。ここは、アリゾナ州ユマ市の隣、カリフォルニアとの州境にあるインペリアル砂丘だ。広大な砂丘で、その南はメキシコ国内にも伸びている。この地に目を付けたのはハリウッド。あの映画「スターウォーズ、エピソード6/ジェダイの帰還」のロケーションともなった。今月はこの砂丘を歩きながら、この地を通過した人々の歴史を見てみよう。

 
砂丘はどうやってできた?

2億年もの前、この一帯は地殻変動で隆起が起こり、広大な平地となっていた。何百万年もの間、熱帯地帯であったこの地域が、その後、周辺の山々が隆起を続けると、高山が海から送られてくる湿気をさえぎるようになる。熱帯雨林は徐々にその様相を変化させ、乾燥地帯となっていく。ある時点で、現在の南カリフォルニア一帯が陥没を始めて、大きな盆地を形成する。そこへコロラド川の水が時々大氾濫をおこして、この一帯に水を送り込むようになる。その水量は極めて大きく、時に巨大な湖を作るようになった。そして、科学者達がカウィーヤ湖と呼ぶ古代湖が形成される。この湖は、現在のインペリアル郡をそっくり包み込むほどの大きさで、西暦1450年まで存在していたと言う。

砂丘形成の最も有力な説は、風の運行である。このカウィーヤ湖の湖岸にあった砂が強い風に吹かれて移動を始め、北西から南東へと動き続けた。こうして現在の地に大きな砂丘を形成することになった。しかも、今もって風は吹き続けているので、砂丘は南東へ1年で1フィートの速度で移動している。

   
砂丘に人間の到来

カウィーヤ湖の「カウィーヤ」は本来この地に生活をしていた先住民の部族名だ。カウィーヤ族だけでなく、チェメフヴァイ、ココパー、カミア、クメヤアイ、クミャーイ、モハヴィといった先住民がこの一帯で定住した。彼らにとってこの砂丘は、聖なる地であった。様々な宗教儀式などが行われ、ここで生息する木々や動物は彼らの生活とってかけがえない存在だった。
18世紀にスペイン人がこの地にたどり着いた時、彼らは、この砂丘を何もない場所として見向きもしなかったようだ。
19世紀にアングロがやってきた。ゴールドラッシュで人々が東から西に移動していた。しかし、この砂丘はその移動を妨げる場所として、皆が避けて通った。1877年に鉄道ができた時も、砂丘を避けてその北部に線路が敷かれた。
20世紀になると自動車の時代が到来した。当時、陸軍大佐でビジネスマンでもあったエド・フレッチャーという男が、この砂丘は自動車で横切ることができるということを証明しようと思った。これがことの始まりだった。

 
プランク・ロード(厚板の道)

フレッチャーは、1872年マサチューセッツで生れ。ボストンで教育を受け、1888年、サンディエゴで仕事を見つけて移ってきた。その後、事業を開始し、不動産などで成功をおさめる。彼は、道路建設にとりわけ情熱を持っていた。現在のサンディエゴ郡にある道路の多くは、彼の開発によるものである。
さて、彼はサンディエゴとユマを結ぶハイウェイ建設を発案した。そのためには、どうしても今まで人間が避けていた砂丘のあるインペリアル郡を通過しなければならない。しかし、これが可能となれば、将来多大なメリットを社会にもたらすに違いない。こうして、砂丘を自動車で横断できる道路を作ることになった。
砂丘は常に動いている。その上に普通の道路を建設することは不可能である。そこで、砂の地面に無数の厚板を何枚も連ねて道路を作ることになった。これをプランク・ロード(Plank Road)と呼ぶ。

 
 

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