ビハインド・ザ・マスクからアリゾナ祭りへ

今では、すっかりフェニックスに定着している日本祭り。毎年2月にダウンタウンで開かれているこの「アリゾナ祭り」は、土日の週末、たった2日間で、8万人を超える市民が訪れた(2016年)。
年々、その人気が高まり、今では、会場敷地がこれ以上拡張できないほど、誠に手狭となり、人々がひしめき合って歩いている。
今月は、この人気上昇を続ける「アリゾナ祭り」の淵源を探ってみた。

1985年のポスター

1991年のポスター
 
ビハインド・ザ・マスク

テンピに本キャンパスを持つアリゾナ州立大学(ASU)。この大学に芸術学部がある。
この芸術学部が1984年に「ビハインド・ザ・マスク(Behind the Mask)」という名称で日本文化紹介イベントを6ヶ月の期間で行った。ビハインド・ザ・マスクとは、仮面の向こう側という意味で、言って見れば、「真実の姿」を指した表現だ。ちなみに日本のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ」が1979年に発表したアルバムに「ビハインド・ザ・マスク」という曲が収録されている。
ASUのこの企画は、フェニックス市内各所で日本文化の講演などを行い、その締めくくりとしてダウンタウンで日本祭りのイベントを開催するものだった。

 

 

第一回アリゾナ祭り

 

この時、すでに数年前から瀧口正子さんやジャネット池田さんなどが中心となって、フェニックスのエンカント公園で茶道や日本舞踊を披露するイベントが行われていた。こうした背景から、彼女らがASU主催の祭りに参加することになった。
また、もう一つ、グループが祭りに加わることになった。それは、「ジャパン・アメリカ・ソサエティー(Japan-America Sociaety of Phoenix)」という組織で、日本とアリゾナの架け橋を目指して活動を開始していた。そのグループの責任者が、ケリー・モア氏だった。モア氏は、日本に長い間住んでおり、ちょうどその頃、出身地のアリゾナに戻ってきていた。
こうして、日本と何らかの縁を持つ日系人やアメリカ人が「アリゾナ祭り」を手がけた。場所は、フェニックスのダウンタウンにあるヘリテージ公園内。祭りを開催すると、5,000人ほどの人たちが集まってきた。それは、予想以上に大成功なイベントとなったようだ。

挨拶するガダード市長(1985年)
挨拶するスタントン市長(2015年)
恒例イベントヘ
さて、この祭りが終わると、「これを続けよう」という声が挙がった。こうして、毎年2月にヘリテージ公園で日本文化紹介の祭りイベントを行うことになった。
さて、こうした文化運動には、資金獲得が決め手となる。幸いにして、連邦政府の一機関である全米芸術基金から助成金が提供され、また、フェニックス市の芸術文化局からも援助金が寄せられた。
その後、年々、アリゾナ祭りは成長し続け、会場も拡張されてきた。数年前には、2日間で6万人の集客数が確認されたが、昨年は、さらに上回り、8万人を超える市民が会場に押し寄せた。近年、日本のアニメに若いアメリカ人の間で人気が集まり、コスプレ衣装で着飾った10代、20代の若年層が、祭り会場を闊歩する。いわば、アニメ熱の活気がアリゾナ祭りのエネルギーを与えている。
さあ、今年は一体何人の市民がやってくるだろうか。
 
料理風景(1985年)
料理風景(2015年)
 
祭りを楽しむ人たち(1985年)
祭りを楽しむコスプレの若者たち(2015年)
 
日系市民協会のブース(1985年)
日系市民協会のブース(2015年)
日本酒紹介のブース(1985年)
ビアガーデン(2015年)
フードベンダー(1985年)
フードベンダー(2015年)