26年目のアリゾナ学園(1)

アリゾナには、日本人補習授業校がある。1991年4月に開校し、メサ・コミュニティー大学の校舎の一部を使って、授業を行っている。アリゾナ州内では、唯一の補習校で、駐在員の子供達や現地の日本人、ハーフの子供達を対象に毎週土曜日だけのカリキュラムが組まれている。
今月は、このアリゾナ学園開校の経緯などを見てみることにした。

毎年アリゾナ祭りに参加しているアリゾナ学園合唱団

日本ハムファイターズのアリゾナ春季キャンプを訪れたアリゾナ学園の生徒たち。
栗山監督が子供達と一緒に記念写真に収まる。
(2017年2月)

 

アリゾナ学園運動会
補習校とは

一般に、駐在員が家族ぐるみで赴任する時、年少者の子供達の教育と日本語の低下を危惧する人たちが増え、対応策として、補習校が生まれた。補習校は、日本政府の許可校で、教科書の配布、現地採用教員の指導、また、学校の規模により、校長や教頭の派遣など文部科学省の援助や外務省の資金援助を受けられるようになっている。ただ、許可校であっても、公立校ではなく、非営利団体として運営されるので、学費が課せらる。
授業では、日本の学校で使っている教材を使用し、文化省の負担で無償で教科書が配布される。「いつでも日本の学校に編入できるように日本の学校制度に基づいた教育を行う」ということが大前提となっている。年度構成も日本と同じで、4月から3月を年度制とし、入学式、卒業式、運動会、遠足などの行事が行われる。
教科は、国語、算数、社会科、生活、理科などが小学部で教えられるが、とりわけ、国語は、100%の補習校で必ず授業が行われている。中学部でも国語、数学、社会、理科の授業を行う補習校が多い。その他の教科は、授業時間数が限られているので、カリキュラムを組む補習校は、極めて少ない。
世界最大の補習校は、やはり、ロサンゼルス補習校の「あさひ学園」で在籍者数は、1,300名を超える。

 

 

アリゾナ学園

 

正式には、アリゾナ学園スクールという名で登録されている。実際、全くゼロからの出発だった。その学校を支えるための組織として、JBAA(日本企業懇話会)が発足され、駐在員の子供達の日本語による教育をする機関としてスタートした。この出発のために東奔西走した立役者が戸川宏一氏である。当時、日本モトローラ社からアリゾナのモトローラ社に派遣されてきた戸川氏(下写真)が中心となって、他の日系企業の代表者や地元のアメリカ人が全面協力して実現した。
今月は、戸川氏に当時のことを語っていただいた。

 
アリゾナ学園を立ち上げる切っ掛けとなったエピソードがありますでしょうか。
ありましたら、是非教えてください。

初期の教員、モア校長と戸川氏  写真提供:戸川宏一氏

私がアリゾナ学園を立ち上げることになって切っ掛けは、アリゾナに赴任した1989年に、フェニックス日米協会の会合に参加した時でした。その当時、フェニックス日米協会役員の皆さまの中に、「日本人の子供のための補習校をフェニックスで立ち上げるべきだ」との意見があり、彼らが全面的にサポートするので何とか可能にならないだろうか、との話でした。
私は、最初、大分躊躇しましたが、当時の日本人の役員の方(すでにお亡くなりになった小林守一さん)からも、是非一緒に立ち上げたい、との意見を頂き、具体的な計画を役員の皆さまと話し合いました。
当時はペニー・リーヴィー(Penny Levy)さんやケリー・モア(Kelly Moeur)さん、そして、大手会計事務所、デロイト・トウシュ社(Deloitte & Touche)のパム・フィップス(Pam Fipps)さんをはじめ熱心に応援してくださる方が沢山おられました。日本人では、日系企業を代表して、寺内さん、小林さん、高橋さん、竹内さん,堺さん、その他、日系市民協会(Japanese American Citizen’s League)の瀧口さん等にもお世話になりました。


このように熱心にサポートを頂けるアメリカの方や当時フェニックスにおられる日本企業の皆さまと話し合った結果、具体的な計画を立てることになりました。

問題は、開校するための費用の捻出でした。そこでまずフェニックスにオフィスを持つ日系企業の方たちと連携して、JBAA(Japan Business Association of Arizona:アリゾナ日本企業懇話会)を立ち上げることにしました。
今でも思い出すのは、アメリカの他の地域には存在しなかったクラス、つまり、英語で日本語を教えるクラスをアリゾナ学園に作ったことです。当時の日本の文部省(現在の文部科学省)は、この案に反対してきました。彼らは、文部省が日本語の教科書や補助金を海外の補習校に出すという条件があるので、英語で日本語を教えるクラスを持つアリゾナ学園には教科書も補助金も出せないとのことでした。私たちは、ロサンゼルスの日本国領事館に談判に行きました。そして、私が日本に一時帰国をした時に、文部省の課長補佐に強く抗議し、アリゾナ学園の必要性と妥当性を訴えました。
日本がグローバルな社会を目指すのであれば、英語で日本語や日本の文化を教えるクラスがあってもおかしくないではないか、と説明しました。
確かその後6か月はかかったと思いますが、何とか、文部省は日本語の教科書と補助金を出すことが決まり、私たちは、ほっと胸をなでおろしたという記憶があります。
もう一つの当時のエピソードで思い出しますのは、初めてアリゾナ学園で運動会を行ったことです。 遠く日本から離れて生活している子供たちに何とか運動会を経験させたいとのご父兄の強い希望もあって、綱引きの綱等運動会用具をロスの補習校から借りに行きました。そして、すべてをトラックで運んできて、楽しいひと時を過ごしたことが、まだ目に焼き付いています。小さくても、皆で作り上げた運動会は、皆の気持ちが盛り上がり、大成功でした。

   
JBAAの創立に至って、どのようなご苦労がありましたか。

私はアメリカの企業のモトローラに勤めていましたが、日本法人の日本モトローラに所属していました。そこで、私のいる会社も日本企業として、最初の設立資金を頂戴することにました。その他、当時、全日空、日産、カルソニック、鹿島建設、NIMTEC,そごうアメリカ、リョービ等の日本企業の方々にアリゾナ学園の設立目的等を説明し、出資をお願いしてJBAAを設立しました。
立ち上げに苦労は致しましたが、JBAAに参加くださった企業の方の理解があり、皆さまとのコミュニケーションはとても大事だったと思っています。このJBAAがあったことによって安心してアリゾナ学園の設立に専念できたと思っています。

   
メサ・コミュニテイー大学が学園を受け入れるまでに至る経緯を教えてください。

戸川氏(左)、ハートラー女史(中)、
モア校長(右)写真提供:戸川宏一氏

幸いなことに、アリゾナ学園の設立には、フェニックス日米協会の強いサポートがあり、
当時アリゾナ学園の役員にメサ・コミュニティー大学のBetsy Hertlerさんにも加わって頂いていました。
また5月と6月には、私の所属していたMotorola Universityのメサのキャンパスを使用できるようしました。
とにかく可能な施設は皆さんの協力を得て使えるようになったことは、とても良かったと思っています。

開校式で挨拶する戸川氏(1991年)写真提供:戸川宏一氏
戸川様がアメリカに来られた時に、アリゾナにどのような印象をお持ちでしたか。

日本モトローラからアメリカのモトローラに転勤するときに、当時の日本モトローラのアメリカ人社長リック・ヤンツ氏から、4つの転勤場所の候補地を提示されました。それは、シカゴ、オースチン、フロリダ、そしてフェニックスでした。
社長が勧めてくれた順番は、フェニックス、オースチン、フロリダ、シカゴの順でした。
アリゾナは砂漠でとても暑いという印象を持っていた私は、随分迷いましたが、最終的にフェニックスに決めました。特に家族の理解があったことは大きかったと思います。
4年間フェニックスで生活をしましたが、確かに、夏は暑かったですが、とても良い人たちに恵まれ、妻と二人の娘もとてもたくさんの良い思い出を作ることができました。とても感謝しています。

   
アリゾナの将来のビジョンを、当時どのようにお考えでしたか。

25年前にアリゾナで生活し沢山の人と交流することができました。
また仕事をしながら、私は、アリゾナ州立大学(ASU)のEMBAのコースを毎週土曜日の授業を受け、2年間で終えることができたことは、本当に良かったと思います。
その時のクラスメート等との話の中で感じたのは、アリゾナはとても大きな可能性のある州だということです。特にフェニックスは、人口も益々増え、市街地も更に広がり、将来のIT,AI LoT等の新しい産業の拠点として、将来の夢を実現できる素晴らしい州になると考えていましたし、これから益々期待できると思っています。

   
現在アリゾナに住む日本人や駐在員さんの方々に何かメッセージがございますか。

私たち家族にとって、4年間のアリゾナの生活はとても素晴らしい経験でした。日本では経験のできないことが沢山ありました。滞在していた時に学んだことは、今でも懐かしく思い出されますし、日本の中で折に触れアリゾナを知らない人たちに話しています。
駐在されておられる方も、限られた期間ですが、異なる文化に触れることはとても重要だと思います。特に子供さんにとって、若いころに経験した異文化での体験は、必ず将来役立つものと思います。
アリゾナに住む日本人の皆さまには、様々な分野で日本とアメリカとの交流にご努力頂いていると思います。今後ともこれまで同様、文化交流のためにご助力頂きたいと思いますし、アリゾナ学園を末永く支えて頂くよう心よりお願い致します。
もし東京から何かお手伝いできることがありましたら、どうぞご連絡ください。