日本人形に魅せられたアメリカ人

アリゾナ祭りに行くと、日本人形を展示している一男性に気付く。過去4年、毎年この展示が続いている。自分で随分日本人形のことを調べたようで、このブースを訪れる人たちと話が弾んでいる。
来月のアリゾナ祭りには、再び、日本人形の展示をするという。そこで、今月は、このアメリカ人を訪れ、話を聞くことにした。

なぜ日本人形
この男性の名は、ワレン・ミルズ。それほど昔から人形をコレクションをしていたわけではなかった。8年ほど前のある日、日本人と会い、そこで、初めて日本の武士人形を見た。これに惹きつけられた彼は、それから図書館に通ったり、インターネットで日本人形のことを調べ尽くした。特に、興味を持ったのは、人形に使われている衣類の布地や顔など肌の材料。そして、その人形構成と一つ一つの顔の表情、腰や手足の角度など、その繊細な芸術美に圧倒的な魅力を感じた。
しかも、多くの人形が、一人一人の人物を表現したもので、大量生産されたおもちゃのようなものではないことにも魅せられた。
 
 

 

コレクションへ

そこで、自分も人形の収集しようと思った。しかし、フェニックスで簡単に手に入る方法はなかった。また、欲しくても手に届くような価格では買えなかった。プロの収集家でもない彼は、自分のポケットマネーを叩いて、少しづつ収集を始めた。フェニックスのありとあらゆる骨董品店に顔を出した。骨董品の展示会やフェスティバルなどの出店にも足を運んだ。
こうして、8年で24体の日本人形を手に入れた。このほとんどが、戦後日本で作られたもので、アメリカの輸入業者が買い取ったり、あるいは、アメリカ人が日本で買ったものがフェニックスの骨董品として出回り、それを入手したのだった。

祭りの出店

4年前、祭りの実行委員からアリゾナ祭りで展示してみないかと誘われた。これがきっかけで、毎年祭りに自分が持っている全ての日本人形を運び込んだ。祭りで高評を得、今日に至っている。

 
 
ワレンさん
バージニア州で生まれた。喘息がひどく、一家でもっと温暖で空気が乾燥したアリゾナに引っ越すことにした。1956年、10才の時にフェニックスにやってきた。それ以来、長い間、フェニックスの大きな変化を見てきた。生涯結婚することなく、教会で牧師として23年間尽くしてきた。今は、退職し、アパッチジャンクションに住み、教会の高齢者などの面倒を見ている。
日本に行ったことがない彼は、いつか日本の地を訪問したいという夢があると言う。
   
祭りに登場したもう一つの日本人形
2014年と2016年のアリゾナ祭りには、もう一つの日本人形が登場し、多くの市民の関心を引いた。それが「ミス・カゴシマ」だ。
これは、1920年代にアメリカの宣教師、ギューリック博士と日本財界の重鎮、渋沢栄一が日米関係の改善と国際親善を目指して企画した「人形外交」という事業で生まれた日本人形の一つだ。
アメリカからは、1926年に全米から集められた「青い目の人形」が12,739体も日本に贈られた。こうした「青い目の人形」は、東京や大阪で歓迎式が行われ、日本の幼稚園や小学校に配布された。
一方、日本では、渋沢栄一が中心となって、市松人形58体がアメリカに贈呈された。この人形は、それぞれの県を代表する名を冠したもので、「MISS SHIMANE」とか「MISS KAGOSHIMA」という名が台座に記された。これを「答礼人形」と呼ぶ。「ミス・カゴシマ」は、現在、フェニックス歴史博物館で保管されており、アリゾナ祭りの時に展示された。答礼人形は、今の時点で48体が現存している。
ちなみに、当時は、第二次世界対戦に突入する厳しい時代で、日本では残念ながら、「青い目の人形」の多くが敵性人形として処分されてしまい、334体だけが現存している。